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受精卵診断と倫理

「受精卵診断と倫理」に関連するブログ記事から興味深いものを選んでみました。ぜひ、読み比べてみてください。



=2005年6月17日収集分=

*徒然なるままに:神戸の産婦人科・・・・
いつの日にか、子供は、体外受精のみで授かるべし、って時代になるのかな??
http://rikomama-04.ameblo.jp/entry-633b8efeff8aa1418ea18d0b855b9634.html

*fermentation::putrefaction:受精卵の遺伝子診断
現実に壊れた遺伝子を持つものがいるのは確かだから、また出てしまうかもしれない。
http://blog.goo.ne.jp/0-loop-0/e/5c251db9d7dec31193b5c8f8298133a0

*日本食品医薬品情報局: 流産予防で夫婦27組に着床前診断、11人出産へ
人間が手を加えていることには間違いないし、それは自然なことではないようにも思えます。
http://jfda.seesaa.net/article/3627764.html

*メディタチオン:いのちの選別・・
現場は倫理的な課題を置き去りにしたまま、いったいどんなふうに進んでいくことだろうか。
http://blog.goo.ne.jp/abelsvoice/e/acb481add07a349cdad79b47b6d8c15b

*Association of 'Perhaps':生きる意味。
一方を助けたい、という信念のもと、ではありますが、その「弟」「妹」たちの存在は・・・?
http://blog.goo.ne.jp/smizuno1/e/9f38c125ec083ca88aef10d31efec8ac

*narcotism :兄姉を救うために生まれた弟妹。
そのためだけに子どもを生むのだとしたら、その親の心はわたしにはわからない
http://blog.tapir.moo.jp/?eid=208788

*Continental Breakfast:骨髄移植のため、受精卵診断で出産...
おかしい行為だと、頭では理解しているつもりですが、自分が親の立場ならどうするだろう、
http://contine.exblog.jp/1957904

*国分寺ペンギン堂書店: 子供の病気の治療のため
ただ、それは、目的を持って生まれてきた、ということと、直接関係があるのか。
http://blacylab.cocolog-nifty.com/kpenguindou/2005/05/post_d593.html

*珍スポ大百科ブログ:子供がグレる未来
ただ、自分が「ある目的」のために誕生させられたのだと知ったら 間違いなく、グレます。
http://chindera.exblog.jp/1877640

*from ayako:テレビドキュメンタリー『1999年よだかの星』
この命の選択も、もしかしたら数の抑制の一環で、織り込み済みのことかもしれない。
http://fromayako.exblog.jp/2822393

*めぞん六星の書斎の部屋:受精卵診断「近日中に実施予定」、長野の根津医師
いろいろな問題を内封したことだとは思うけれど、この医師の姿勢は正しいと思います。
http://rokusei-so.cocolog-nifty.com/syosai/2005/05/post_5ee0.html

*ちくわ細菌研究所:受精卵診断の女性3人出産 神戸の病院
生まれにくい体質で流産させるほうが よっぽど人としてどうかと思いますけどね 倫理の先生がた
http://hamotiku.ameblo.jp/entry-6317a8b84d5b158789f5c59642be5483.html

*不登校社長の日々思うこと:命の選別?未認可で受精卵診断受けた3女性が出産
金のない人間が十分な治療を受けられない状況もあるが、これは「命の選別」ではないのか?
http://lazy86.blog12.fc2.com/blog-entry-18.html

新しい情報があったら、コメントでお知らせください。

カテゴリー:056生理/妊娠/出産/育児 | 投稿者 xbheadjp : 2005年06月17日 20:10

■コメント

TBありがとうございます。本文中にありましたが、こちらからもTB返させていただきますね。ブログはこうやって繋がって行くことが面白いと思いますので。これ以上スパム増えるの嫌なので、メールアドレスはダミーです。メールアドレスなしでは投稿できませんでしたので。

投稿者 ayako : 2005年06月17日 22:38

続けてすみません。本文に引用されている「この命の選択も」の指示語「この」は、バースコントロール(避妊)を差しているつもりで、このニュースの件ではありませんでした。確かに、そういう風に読み取れなくもない、と思いましたので、一応ここに説明を加えさせていただき、本文も「この命のコントロールも」に改めたことをお伝えしておきます。

投稿者 ayako : 2005年06月17日 22:43

色々な意見が見られて面白かったです。
ただ、ここにリンクされている記事は元もと別々のニュース・出来事に対する各人の考え方なので、一概に「受精卵診断と倫理」と括れないのではないかと思っています。
 
状況が変われば答えは変わるものですから、よく似た分野の問題とは言え、その出来事の答えが別の出来事の答えに適応するとは限らないということですね。
 
俺の立場から一つ言えることは「選択の範囲が広まった」「バラはバラでも自分が水をやっているバラは他のバラとは違う」ということです。
 
「選択の範囲が広まった」とは「自分が選択出来る幅が広がった」ということであり「他人にそれを強要しても良い」ということとは同義ではありません。
「倫理」という言葉で他人の権利を侵害したり、強要したりすることは良くあることですが、「選択の範囲が広がる」ということはそれには当たらず、単に任意の個体の命が助かったり病気が治ったり出来るということです。
「倫理」について考える時は「自分が他人の権利を侵害したり、強要したりするのに十分な理由があるのか」を考えなくてはいけないでしょうね。
「自分が選択しない」ということに誰も意義はないと思います。
「他人に選択させない、選択させる」ということをする時、それに伴う、例えば「病気の個体を助けられない」状況が発生した時、それをしてでも「貫くべき理由」があるのかどうかを考えなくてはいけないでしょうね。
それは宗教上の理由かも知れないですし、単に気持ちが悪いからでも良いでしょう。
それによって「救われない個体があるということ」は認識しなくてはいけないですね。
もちろんその逆もあります。
「救われてしまった個体」と言うこともあるでしょう。
選択するのが当事者である自分であるなら、それをする権利は自ずとあるでしょう。
それを他人である場合、どのように考えるかがまず大事なのだと思います。
 
「バラはバラでも自分が水をやっているバラは他のバラとは違う」人は生まれる前から不平等なもので、生まれることを望まれて生まれる子供もいますし、そうでない子もいます。
その家庭に生まれて良かった、その時代に生まれて良かった、その国に生まれて良かった、そういったこと一つを取っても「人は平等ではありません」。
それではあまりにも悲しいのでなるべく「平等にありたい」と願う気持ちがあるのでしょう。
しかし現実には自分の親が死ぬと悲しいけれど、地球の裏側の見知らぬ他人が死んでもそれほど悲しくはありません。
つまり「自分にとって大切な個体がある」と言うことです。
仮に目の前に我が子がいるとして、その我が子と見も知らぬ卵子とを比べた場合どちらが可愛く思えるものでしょうか。
卵子は自分の卵子であったとしても、目の前の我が子の方がかわいく思うのは想像に安いと思います。
そして、その決断をするのは自分なのであって、他人ではないのだと思います。
 
「倫理」の話に戻って、自分はその時、選択の範囲が増えたことを喜ぶべきなのだと思います。
選択するもしないも自分の責任です。
それはいらぬ十字架を背負わされることになるのかも知れないですが、人と係わると言うことは常にそういった責任を負うことなのだと思います。
 
自分が当事者でない時、「倫理」によって権利を奪ったり強要することに責任を持たなくてはいけないのではないかと思います。
 
(時々誤解される方がいらっしゃいますので、念のために書いておきますが、これは宇宙の心理でも世界の常識でもなく、俺の私見です。
一つの情報として受け取るべきものであり、もちろん受け取らなくても良いです。
判断はそれぞれの方がすればいいことで、自分の中で解決するべきことです)
 
長文失礼致しました。

投稿者 六星 蒼 : 2005年06月18日 04:26

コメントに長文を書き込むような荒らしが倫理を語る時代なんですね。
長々と語りたかったらトラックバックすればいいのに・・・。

投稿者 crystal : 2005年06月19日 12:38

TBありがとうとございます。やはりいろんなところで、いろんな意見があるんだなと思いました。

投稿者 黒ラブブラッキー : 2005年07月13日 23:01

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