持続可能な最少不幸社会に向けて/オルタナティブ経済論序説

*産業は持続不可能
古来から、人は自然の恵みを分け頂くことで、暮らしを成り立たせてきました。その「人と自然との共生」という関係が崩れたのは、産業革命のころからでしょうか。そう。木々を薪として燃やしてしまえば、森林はいずれハゲ山となりますが、当時、地下資源は掘れば掘るほど出てきたのです。以来、私たちは枯渇性のエネルギーを費やして金儲けをすることを、「消費」ではなく「生産」と勘違いし、「産業」を発展させてきました。ただ、地下資源は無尽蔵と思われるくらい存在しているのかも知れませんが、少なくとも、その燃えカスを排出する地球の許容量は、無限ではなかったのです。
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>出典:http://cgi2.gamecity.ne.jp/dol/start/manual/chap06-024.htm

*資本主義の終焉
地球環境の許容量に限界があることは、ローマクラブが警告した「成長の限界」のでも指摘されていました。それは経済学でも説明することが可能です。端的にいえば、資本主義社会は外部不経済を無視して内部経済だけを潤してきたがために、そのつけが廻り回って全世界的に首がまわらない状態に陥った。違う見方をすれば、従来はエネルギー資源を”効率的に”利用する製造業で利幅を稼いでいたものが、外部不経済が溜って非効率となったため、介護や福祉、飲食や配送など、労働力をベースにして稼ぐサービス業界に期待が集まっているが、低賃金での人材確保には限界があるため、人件費高騰と人手不足が同時に起きている。それが今起きている「資本主義の終焉」であり、「オールサムからゼロサムへのパラダイムシフト」に他なりません。その構図が頭に描ければ、「誰かが儲かれば、誰かが貧する」格差の拡大は、自明の理だと判るはずです。 gaibufukeizai.bmp
>出典:http://ameblo.jp/haruomi-watashi-jibun/entry-10013330140.html

*ゼロサム社会の現実
ご存知の方はご存知でしょうが、アフガニスタンの混乱もシリアの内戦も、元を質せば地球温暖化による干ばつが発端になっています。さらにはイスラムの過激思想に染まったホームグローンによるテロも、それに呼応した移民排斥運動の欧米での拡がりも、経済成長によるトリクルダウン(というかベースアップ)が涸れ絶えたことが不満の元凶といえるに違いありません。日本も例外ではなく、アベノミクスの偏向政策で大企業が内部留保を積み上げれば、見せ掛けのGDPが増大を続けても国民には貧困が拡がるばかり。もっといえば、だからこそポピュリズムが流行り、極右が台頭する。それは世界中で起きている現実なのでしょう。

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>出典:http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/40d3829e8e766b7dc1e85f56c7be48aa

*高等教育の限界
従来の通説では、貧困を解消するのは、教育とされてきました。曰く、高等教育を受ければ一人ひとりの生産性が上がり、生涯所得の増加も期待できるので税収も増え、その好循環が社会発展の礎になると。しかし現実社会を直視すれば一目瞭然なように、今や世の中間管理職はパソコンで代替されており、今の利潤追求システムで必要とされているのは、一部の参謀とその他大勢の兵隊だけです。それを担わされる学生達にさえ、奨学金という学生ローンが蔓延しているようでは、近未来の結末は見えています。持続可能な最少不幸社会を望むなら、自然の恵みを分け頂く原点に立ち返ること、他人や他国から収奪することなく、自分たちで耕し、そこから得られる富の範囲で幸せを紡いでいく。他に楽をする術などないのでしょう。
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>出典:http://shingakunet.com/rnet/column/syougakukin_column/

カテゴリー:オルタナティブ経済論序説 | 投稿者 xbheadjp : 09:02