市場経済はマルチ商法である/オルタナティブ経済論序説

*持続不可能な市場経済
私達の地球は今、成長の限界という曲がり角に差し掛かっています。特に新興国の需要拡大と気候変動による凶作で、世界的な食糧需給は崩壊寸前といっても過言ではありません。考え直せば、市場経済とは消費という麻薬を広めるマルチ商法でした。もちろんそれが、今までの社会を物質的に豊かにしてきたことは事実です。しかしそのシステムは、先を競って発展してきた国々や、土地を手放して都会に群れ棲む都市生活者にしか恩恵を与えません。幸福を夢見る末端の新規参入者から収奪して、先行者がリベートを総取りする。その構造は、まさに地球環境を蝕むマルチ商法そのものであり、そんな取引に限界があることは、自明の理でしょう。
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*経済成長至上主義の歪
マルチ商法が抱える最大の歪は、そこで売買される商材そのものがもたらす便益やそれから生じる幸福感より、取引での「リベート」、それも上納システムによる不平等な分配が重視され、その拡大が目的化されてしまうことです。取り立てて必要ではないものを大量に造って売りさばく。それがどう使われ、捨てられるかなどお構いなしに、買わせることで報酬が得られる。まさに今、多くのサラリーマンが仕事で得られる満足感よりも給料に縛られている。手掛けた商品やサービスが末永く愛用されるより、次々と消費させた方が、業績があがる。その延長が、生活者一人ひとりの暮らし向きや幸福度より、国としてのGDP拡大を最優先する、「景気回復」政策に他なりません。
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*途上国を虐げる米中の覇権争い
市場経済というマルチ商法は、貿易自由化という大義名分に従って国境を超え、グローバル化の一途を辿っています。戦後、マーケットを牛耳ってきたのは他でもないアメリカでした。しかし何度かの経済危機を経ているうち、急激に勢いづいてきた中国がその秩序を覆そうと、着実に「中華思想」を現実化させつつあります。にわかに注目を集めているアジアインフラ投資銀行(AIIB)は、その端緒に違いないでしょう。資金不足に悩むアジア諸国に対して、立ち遅れたインフラ整備を支援するという提案は、まさにマルチ商法の草刈り場を、国内からアジアへ拡げる戦略そのものです。

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迫られる究極の選択
こうした情勢を踏まえると、TPPの異なる側面が透けて見えます。それは日本を含めた加盟国に市場開放を迫る不平等条約であると同時に、覇権を握ろうとする中国の封じ込め政策でもあるのです。誤解を恐れつつ端的に言えば、日本にとってそれは、すべてを金で支配する資本主義陣営に留まるか、すべてを裏金で支配する一党独裁陣営に寝返るかの、究極の選択なのでしょう。多くの日本人は中立でいたいと願うのでしょうが、そんな選択肢はあり得ません。なぜなら、食糧自給率40%足らず、エネルギー自給率に至っては4%に過ぎない日本に、自立などあり得ないから。資源が乏しく国土も狭いこの国は、元手もないくせに借金を繰り返して、このマルチ商法にすべてをつぎ込んでいるもので、いまさら足抜けなどできないのです。
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*原動力は消費行動
マルチ商法社会は、特に快適便利な都会での生活は、何処かの誰かの犠牲でしか成り立ちません。農家の高齢化も地方の過疎化も、さらには原発の再稼働や米軍の基地問題さえ、その元凶はマルチ商法の本質であるピラミッド型の収奪構造にあるのです。なもので、うわべだけの抗議集会や反対運動では、諸問題を変えることはできないでしょう。つまりは、消費活動を続けている限り、社会の末端を虐げるマルチ商法に加担していることになる。なぜなら、そこから集められたリベートは、原子力発電の推進を画策する輩や、新安保法制に基づいた軍事力強化に余念のない勢力に、体よく巻き上げられているからです。
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*幸福を追求する権利
そもそも、この国を殖産興業、富国強兵に向かわせているのは、経済界や政治家なのでしょうか。着心地や必要性を超えて、見せびらかし、着飾るために買い替えを促すファッションに興じて優越感を充たすばかりか、グルメやレジャーまでもが、癒しや安らぎを超えて、見栄と自慢の種として機能している。もともと資産がない日本で、そんな放蕩生活を続けるには、放射能や遺伝子組み換えなどの危険も顧みず経済成長を成し遂げ、集団的自衛権を根拠に軍備を防衛力から攻撃力にすり替えてでも、日本を「強い国」として取戻す必要がある。国民に今の生活水準を維持させる、つまりは「幸福追求の権利が根底から覆される危機」を招かないためには、市場経済というマルチ商法で、他国からリベートを巻き上げ続けられる権益を死守する必要があるのです。
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*唯一の打開策は脱消費
ここまで深堀りすれば、市場経済というマルチ商法から逃れる術が見えてきます。巷では、「地球のため」「子どもたちのため」なんてコピーがいまだに横行していますが、エコやロハス、ソーシャルやエシカルなんて緩い言葉で優良企業を装い、更なる消費に走らせる「CSR」という名のマーケティングでさえ、残念ながら弱者を挫き強者を助ける経済政策、軍拡戦略に加担させる「悪魔のささやき」でしかありません。そう、リベートを収奪する立場からも収奪される立場からも、そして「成長の限界」という壁からも逃れるおそらく唯一無二の方法は、その取引から手を引く。つまりは、「消費は美徳」云々という呪縛によるマインドコントロールから目覚めて、市場経済に依存しない衣食住を心掛けること。言い換えるなら、自給をベースにした暮らしや地域をもう一度組み立て直すことしかないでしょう。
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カテゴリー:オルタナティブ経済論序説 | 投稿者 xbheadjp : 16:02