島国農耕民族思考のすすめ/オルタナティブ経済論序説��
1.経済成長を裏打ちする錬金のタネ
大航海時代には、命を賭けて大海原を渡り未開の大陸との交易を成し遂げれば、巨万の富が得られるという錬金のタネがありました。産業革命以降は、私財を投じて石油を掘り当てれば、1単位のエネルギー投入で100倍のエネルギー源が得られるという錬金のタネが成り立ちました。経済成長とは、裏を返せば市場での総借金額の膨張であり、つまりはそれぞれのプレーヤーが、前年より多くの借金をしてでもそれを梃子に、より多くの富を得られるだけの錬金のタネが裏打ちとしてなければ、それはいずれ破綻するバブルでしかありません。もちろん政府が財政出動で市場を活気づけようが、日銀が金融緩和で景気を刺激しようが、それは遅かれ早かれ弾ける泡が膨らむだけの悪あがきです。

2.自然エネルギーは練金のタネたるか
植民地を支配した宗主国は、弱者からの収奪を錬金のタネとして領土の覇権を競いました。石油を支配した先進国は、自然からの収奪をタネにして経済の覇権を競い合いました。そして目先の安い電気を確保するために核廃棄物処理を未来永劫に亘って委ねる原子力発電は、将来からの収奪をタネにする錬金術に他なりません。翻って1単位のエネルギー投入で数倍のエネルギーしか獲得できそうにない自然エネルギー開発は、実際、どれだけ優れた練金のタネなのでしょうか。例えば低価格化が進んだ太陽光パネルは、大気汚染の火種にもなっているはずな中国の劣悪な石炭火力によって製造されているだろうに。例えば、エネルギー源自体は限りなくコストゼロであっても、それを効率よく活用するインフラを構築するためには、とてつもない化石エネルギーが必要になるであろうに、です。

3.島国農耕民族と大陸狩猟民族の違い
思い起こせば、島国として限られた土地に縛られてきた我々の祖先は、水を導き肥やしを運び入れることで、先祖伝来の田畑から自然の恵みを分け頂くことに喜びを見い出し、森羅万象を八百万の神として崇めてきました。里山を共同で管理しその資源を活用する一方で、奥山との境に神社を建て、その先を鎮守の森として護ってきた風習や伝統文化にも、集落を維持する智慧が窺えます。一方で現代文明の源と言える大陸生まれの欧米人は、ヨーロッパを覆っていた森をハゲ山に変え、海の向こうの新大陸をフロンティアとして搾取し、それで自らを神の子と呼んで憚りません。貧困撲滅を旗印に発展途上国の辺境にまで市場経済を持ち込んで開発を促し、資本の力で木を支配し、水を支配し、種を支配し、挙句の果てにはグリーングロースを口実に自然エネルギーまで支配しようとする開拓魂は、留まるところがないようです。

4.富を外に求める幸福観の限界
日本経済が高度成長で沸きかえっていた頃、子どもたちが21世紀に描いた希望は、車が空を飛び海底や宇宙に都市を築く夢でした。しかし今、私たちが直面している現実は、1972年にローマクラブが警鐘をならした「成長の限界」そのものです。残念ながら地平の先は、永遠に続く未開の大陸ではなく、前進しつつければ出発点に戻ってしまう球体だったのです。単純に考えれば腑に落ちることですが、限られた領域で富を外に求め続ける大陸狩猟民族的な価値体系は、おのずから破綻するしかありません。逆を返せば、本当に我々が持続可能で平和な社会を望むなら、島国農耕民族思考に立ち返って、自分たちの生態系の中で、自然の恵みを分け頂くことに幸福を見い出すしかないのです。

カテゴリー:オルタナティブ経済論序説 | 投稿者 xbheadjp : 2013年03月28日 08:42
