富は植物に宿る/オルタナティブ経済論序説��

1.唯一絶対の富とは、植物の余剰繁殖資源。
「人はパンのみにて生くる者に非ず」は新約聖書にあるフレーズとのことですが、人はパン(食料)がなければ生きていけません。(生きるためには水や空気も必要であり、現実社会ではその確保さえ危うい事態にも陥っていますが、それはさて置き。)もちろん動物も重要な食料ですが、肉食動物でさえその餌食となる草食動物の糧はもちろん植物なわけで、とどのつまりが皆同じです。一方で、鉱物も価値と看做すことはできますが、それは極限に至れば食べられない、いわば相対的な価値であり、しかもその希少性は、「探す」とか「掘る」とかの労働の賜物であって、その根源を問えば、やはりエネルギー源としての「パン」に辿り着くわけです。さらにいえば「貨幣」といえども、その信頼の根底には食料兌換性が潜んでいるハズで、だからこそひとたびハイパーインフレが国家を襲えば、それは紙クズになるのでしょう。ということで、ここでは多少の例外は考えられるものの、誤解を恐れつつも大胆不敵に、その辺も十把ひと絡げにして「唯一絶対の富とは、植物の余剰繁殖資源(つまりは種や豆、芋類を軸とした光合成の成果物)」といい切ってしまいます。
>出典:http://www.jibhome.jp/blog_dir/2010/05/post-6.html
2.経済学でいう生産される価値とは、植物余剰繁殖資源の消費による共同幻想。
有史以前から、ジンルイは植物の余剰繁殖力を頼りに「発展」してきました。よくよく考えてみれば、大航海時代に西欧列強が植民地支配で潤ったのは、未開の大陸が培ってきた、植物を底辺とした食物連鎖による集積の恩恵でしょう。さらには産業革命の主軸となった蒸気機関の石炭火力も、今の物質文明を根底で支えている石油系のエネルギー源も、元を質せば植物由来に他なりません。従来の経済学では、第2次産業も第3次産業も、その成果物をすべて「付加価値の生産」と看做すのが大原則ですが、地球環境の視点で見れば、その実態は「資源の消費」です。そうです。経済成長としてカウントされる「生産」とは、そのほとんどが、「付加価値」という共同幻想で包んで物欲を煽る「植物余剰繁殖資源の消費活動」に違いないのです。蛇足でいえば、穀物の大量投与で成り立っている畜産業はもちろんのこと、石油で支えられている大規模農業さえも、「植物余剰繁殖資源の消費行為」に他なりません。

>出典:http://diamond.jp/articles/-/22320
3.持続可能な発展は、植物の余剰繁殖力を越えては成り立たない。
市場経済の価値観に基づいてそう呼ばれる「先進国」は、こうした「植物余剰繁殖資源の大量消費」を「経済成長」と呼び、「途上国」に先駆けて「発展」を成し遂げてきました。もしかして、地球のキャパシティが無限であれば、「産めよ増やせよ地に充ちよ」と、いわばその表裏一体にある「大量生産大量消費」と、その帰結である「大量廃棄」は、永久不滅な福音なのでしょう。しかし本当に「地に充ちて」しまい、その経済活動の総和が地球環境負荷の1を越えてしまうと、「消費は悪徳であり、増殖は自滅に他ならない。」と、状況が一変してしまします。それこそがまさに、いま我々が直面している「成長の限界」であり「パラダイムシフトの本質」であり、後戻りできるか否かの「ティッピングポイント」に違いありません。まして、世界全体でのエコロジカル・フットプリントが1.4を越え、日本人のそれは2.4とも3.0ともいわれる事態に至ってもなお、「グリーングロース」を語って憚らない従来型思考の指導者に「正義」はあるのでしょうか。いえいえ、将来世代から責任を問われる時代において、悪魔に魂を売らないためには、成長のスピードを「植物の余剰繁殖力」以下に抑制するしかないでしょう。もしそれができないなら、冗談ではなく「先進国」は「破綻途上国」であり、まだその一線を越えていない「発展途上国」は、「持続可能国」と読み替えてしかるべし、です。
4.産業活動において例外的に「生産」と呼べるものがあるとしたら、それは自然農や循環型有機農業
大規模経営による農業が実は石油に依存している産業に他ならず、それが地球環境に多大な影響を与えていることは周知の事実です。その一方で、いうなれば緑の革命以前、日本なら現状の慣行農業が普及する前の伝統的農業や、現代においても大規模生産や輸出入を善しとしない自然農や循環型農業は、外のものを足さずに自然の恵みを分け頂くという意味で、唯一「生産」的産業活動といえるでしょう。もちろん日本での農村生活は今や軽トラックがなければ成り立たないので、あくまで原理的には、です。しかも1億人を越える日本の人口が、この狭い国土において有機農法だけで食べていけるのかといえば、それは無理な話かもしれません。しかし何より、あなたが行動規範の第一優先順位を地球環境保全と考え、基本的人権として全人類は飢餓から免れるべきと思うなら、ジャイアントパンダの保護を叫ぶより、アフリカの貧困撲滅を訴えるより、まずは自分で地球を踏み荒らしているその足跡を持続可能な範囲に収めるべき、つまりは植物の余剰繁殖力の範囲で、自然の恵みを分け頂くことが正義であり至福と感じるべきですよね。あいや、それは義務とか強制とか我慢とかではなく、”Be the change!”を志すなら、少なくともその方向へ向かう努力をすることが自然の成り行きと感じます。ま、一億皆農とまではいわないまでも、そこにこそ持続可能な循環型社会へ回帰できるヒントが見出せるのでは、と模索を試みている次第なわけです。
>出典:http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3108_1.html
カテゴリー:オルタナティブ経済論序説 | 投稿者 xbheadjp : 2012年08月10日 12:59
