パラダイムシフトを超える道/オルタナティブ経済論序説��
*富は草木に宿る
経済成長の過程を振り返ると、人類は常に富を創造し、発展してきたかのように感じられます。しかしエネルギーという視点で因果関係を紐解けば、富は植物が産み出しているのであって、すべての動物はそれを消費しているだけという事実に気付かされるでしょう。進歩の歴史も例外ではありません。例えば、遠い昔のご先祖様は、農耕を覚え、備蓄を心掛けるようになって、安住を手に入れました。例えば、大航海時代には列強が競い合い、新大陸の開拓と称してはかの地の植物資源を刈り荒らし、原住民たちの持続可能な生活を踏みにじって、栄華に酔いました。そして産業革命以降は、長い年月を掛けて化石化した植物資源を貪り、発展の源として浪費し続け、またたく間に使い尽くそうとしています。つまりは、富は植物の繁殖力によって「生産」されるものであり、我々の営みは一部の例外を除いて、植物に由来する資源の「消費」でしかない。だから人類が植物の余剰繁殖力を超えて利益を得ようとすれば、それはすなわち、持続不可能な破綻へ至る道であって、いずれ自分の首を絞める自殺行為に他ならないのです。

>出典:http://www2.edu.ipa.go.jp/gz2/w1rin1/w1h/w1ha/IPA-rin400.htm
*成長の限界というパラダイムシフト
人の起源とされるアダムとイヴが、絶海の孤島に放たれたつがいのヤギだったとします。植物が生い茂り天敵のいない島は、草食動物にとってまさに楽園でした。食べたい時に草を食み、寝たい時に眠る。狼に襲われる危険もないので子宝にも恵まれ、やがてその島は自生ヤギのサンクチュアリになります。それが植物の余剰繁殖力の範囲であれば、谷間に隠れていた餌場を見つけて草木の若芽を頬張ることは至福であり、季節の度に新たな命を授かって一族郎党が増えることは、慶事と悦べたに違いありません。しかし、その増殖が植物の過剰繁殖力を超えると、状況は一変します。草原の緑が絶える冬には、木の皮や草の根を食べて飢えを凌ぐでしょう。草木が萌えるはずの春には、わずかに芽吹いた新芽を食べつくして、実り豊かな大地を砂漠に変えるでしょう。そのとき、飽食は愚行であり、子沢山は飢餓に直結します。そう、その現実こそが「成長の限界」であり、いま我々が直面している「パラダイムシフト」そのものなのです。

>出典:http://www.nies.go.jp/biodiversity/invasive/DB/detail/10290.html
*利益追求という環境破壊活動
孤島のヤギが示すように「パラダイムシフト」の境では、価値観を180度逆転させない限り、サバイバルできません。なのに現代人は、従来のマインドセットにしがみつき、古くなったOSのまま、それでも「利益」を求めて経済活動を続けています。植物の余剰繁殖力を超えてなおも富を得るには、環境から削り取るか、未来にツケを廻すか、弱者に負担を負わせるか、しかないのに、です。特に地下資源に乏しい日本では、削り取れる環境も少なく、未来にツケを廻すハズの原発も自曝の憂き目に合って、それでも過剰な利益を得ようとするなら、残された手段は、弱者に負担を負わせるしかないのに、です。世間では社会起業だのCSVだのといった「志」が持て囃されていますが、それらの努力も遅かれ早かれ、より貪欲な資本に絡め取られて干上がるのが運の尽き。エコロジカルフットポイントで考えて、1.0を大きく上回る環境破壊活動を続けていながら、市場経済で更なる「利益」を求める限り、同じ穴の狢としか評価できないのが現実でしょう。
>出典:http://www.wwf.or.jp/activities/lib/lpr/WWF_EFJ_2009j.pdf
*アベノミクスの本質
ここまで書き連ねてみて、世界でも飛びぬけた財政赤字を抱えているのに、税制も社会保険も年金制度も破綻が見えているのに、日本の国債や通貨価値がなぜ暴落しないのか、グローバルなマーケットの評価が透けて見えてきました。輸入資源の高騰で加工貿易立国というビジネスモデルが崩壊していても、東日本大震災と東電の原発事故で大打撃を受けても、我が国の国際的評価が維持できているのは、他でもなく増税余地があるから、つまりは「弱者に負担を負わせる余地があるから」に違いありません。そう考えたとき、経済成長を謳う現政権の政策、アベノミクスの次の一手と言われる第3の矢の本質が理解できます。ひとことで表すならば、それは「オキュパイ1%」。99%の弱者に更なる負担を負わせる格差拡大政策と他国からの脅威に乗じた批判分子の封じ込めで、より強い国として「日本を取り戻す」。困ったことに、この「弱者負担拡大路線」は日本のみならず二大強国である米中の趨勢であり、世界の現状は、「成長の限界」という壁に向かって突進するチキンレースの最終段階に他ならないのです。

>出典:https://www.komei.or.jp/news/detail/20130128_10181
*パラダイムシフトを超えて
多くの野生動物は今まで飼い慣らされてきたヤギと違って、生存環境の中で縄張りを保つことで増殖を抑え、自然淘汰の摂理に従って種を保ちます。パラダイムシフトに直面している我々が持続可能な循環型社会を望むならば、それに見習うしかないのかもしれません。すなわち家族で最低限食べていける農地を確保し、自ら耕して自活する。豊作の時はお裾分けを振る舞い、凶作の際は施しを乞う。成長し続けなければ崩壊する市場経済に頼らなくても、たとえば河川に従って流域経済圏を確立すれば、そこそこ豊かな食生活も保てるでしょう。古き良き日本の伝統文化を掘り起こせば、そこには祈りがあり、祭りがあり、平穏がある。多くを求めなければ、そこではきっと「暮らす幸せ」が感じられるはずです。草木が宿す恵みを分け頂く範囲で成長し、森羅万象を神と讃えて、そして花鳥風月を愛でる。サステナブルでレジリアンスな社会を望むなら、政治やメディアを責めるより“自耕自活”を目標に、消費社会からフェードアウトする具体策を試みましょう。

>出典:http://iwate-ginga.or.jp/note.php?p=log&lid=257243
カテゴリー:オルタナティブ経済論序説 | 投稿者 xbheadjp : 2013年12月09日 16:32
